【沼田一雅】1903年に外国人として国立セーブル陶磁器製作所で働くことを許された最初の日本人です。2年間国立セーブル陶磁器製作所で働いた沼田は、生地を石膏の型に入れて成型するという西洋の方法を日本に伝えました。1904年から1927年にかけての制作が有名。彼は1914年から1919年及び1922年から1927年にかけてセーブル陶磁器製作所で彫刻塑像や彩色の制作をしました。
(セーブル陶磁器美術館・国立セーブル陶磁器製作所アーカイブス資料より引用)
セーブル 白磁 鴎 置物 フランス製 2006年復刻 日本陶彫会創始者 沼田一雅原作 飾り物 Sevres
型番・品番
sevres-pn-mouette1
販売価格
203,500円(税込)
★フランス国立セーブル陶磁器製作所工房作品詳細★ | |
ブランド(原産国) | 【セーブル・Sevres】フランス |
作品名(パターン) | Mouette(鴎・かもめ) |
原作制作年度 | 1906年 Ytiga Noumata(沼田一雅) |
復刻年度 | 2006年 France TOCQUEVILL(フランス トックヴィール) |
作品サイズ | 高さ:4.5cm,長さ:15cm,幅:5cm |
特記事項 | 画像と実際の作品の色合い及び風合いは、微妙に異なります。 |
ギフト包装 | 対応できません。 |
参考上代(定価) | 203,500円 |
作品説明 | |
クリエーター:France TOCQUEVILL(フランス トックヴィール) フランス国立セーブル陶磁器製作所工房で創作活動をするビスキュイ作家、陶芸家。 ビスケット・白磁人形 【素材:PN(ヌーベルペースト)1882~1884年にセーブル工房で改良認可された素材】 この素焼き白色磁器(ビスキュイまたはビスケット)は、 十八世紀から続く成型・修復作業アトリエで制作されました。 ここではセーブル陶磁器製作所工房独特の白色磁器や彫刻類(丸彫り、浅浮き彫り)、 「セーブルのビスケット」という名称の意図的に釉薬をかけない 白色磁器の作品が1751年から制作されています。 作品にはセーブル工房のロゴと制作年度が刻印され、作家のサインが彫り込まれています。 |
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セーブル工房の「ビスケット」という呼び方は、 1751年以来の釉薬も彩色も無いセーブル工房の陶磁器彫刻のことを指す。 この呼び名は白い大理石の無垢な冷ややかさを喚起させると同時に、 マイセンの彩色された彫刻作品と区別する為に積極的に取り入れられました。 |
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☆Pate dure nouvelle(ou P.N):ヌーベルペースト(新硬質磁器 P.N)☆ 基本素材はカオリン、長石、水晶(これらの素材は1882~1884年にセーブル工房で開発された)で、 PNはこれらの素材を1280℃~1300℃で焼く。 |
★Ytiga Noumata(沼田一雅)★ | |
1903年に外国人として国立セーブル陶磁器製作所で働くことを許された最初の日本人です。 2年間国立セーブル陶磁器製作所で働いた沼田は、 生地を石膏の型に入れて成型するという 西洋の方法を日本に伝えました。 1904年から1927年にかけての制作が有名。 彼は1914年から1919年及び1922年から1927年にかけてセーブル陶磁器製作所で 彫刻塑像や彩色の制作をしました。 (国立セーブル陶磁器美術館・国立セーブル陶磁器製作所アーカイブズの資料より引用) 【経歴】 日本陶彫の父であり日本陶彫会の創始者・初代会長 ■(本名 沼田勇次郎)明治6年福井松平藩祐筆の生まれ(福井市木田新町) ■東京美術学校教授 竹内久一に師事 ■明治36年(1903):フランスセーブル国立陶磁器製造所入所(30歳) ■明治38年(1905):ロダンに師事 ■明治39年(1906):帰国 東京美術学校雇員(33歳)農商務省工業試験所陶磁器部嘱託 ■明治43年(1910):フランス政府から芸術賞授与 ■大正10年(1921):フランスセーブル国立陶磁器製造所入所 ■昭和02年(1927):フランス政府から勲章授与 ■昭和08年(1933):東京美術学校教授退官 正四位勲四等 授与(60歳) ■昭和12年(1937):京都高等工芸学校講師(64歳)商工省陶磁器試験場嘱託 ■昭和25年(1950):3月、陶磁研究所所長辞任、帰京(77歳) ■昭和26年(1951):3月10日、日本陶彫協会創立準備会会長 沼田一雅(78歳) ■昭和29年(1954):5月27日、沼田一雅 第10回日本芸術院恩賜賞 (日本陶彫会の歩みより引用) |
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