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セーブル 人形 白磁(PT) ハンドメイド マダム ポンパドール 2007年復刻 フランス

ポンパドール夫人は数人の芸術家に友情の寓意的な形式での肖像の制作を依頼した。 Jean Baptiste PIGLLE(ジャン-バプティスト・ピガール)は1753年大理石像を制作。 続いて2作目は1754年に制作し「友情の愛の抱擁」と題された。Etienne Maurice FALCONETも同じく1755年「友情」を制作した。 これら3点の作品はルイ15世王からポンパドール夫人へ贈られたELLEVUE(ベルビュ)城の庭園の木立の中に聖なる愛のテーマ像として設置された。
Charles E BUCKLEY(シャルル E バクレイ)はポンパドール夫人の言葉から引用し 「愛は瞬時の喜びであり、友情は四季の移り変わりのように長く継続の喜びである。 私はいつもこの友情を大きな人生の糧として味わう」といっている。 ポンパドール夫人は、BOUCHER(ブシェ)のデッサンを元に作られた「はん画」「L'Offrande sincere(誠実なる捧げもの)」からインスピレーションを受け、自らの小像のビスキュイも注文した。
1643年、Cesare RIPA(セザール・リパ)は友情というものを質素な洋服を見にまとった女性のデッサンで表現した、それは友情というものの率直さを示しており、裸足の足は「友への奉仕の為の全ての不都合」に耐えていることを表している。 このビスキュイは商業的に大成功を収め、最初の19体は、FALCONET(ファルコネ)の後援者であり、ヴァンセンヌ工房がセーブル工房へ移動するきっかけともなったポンパドール夫人に贈られた。
「この作品はポンパドール夫人の人生のうちである特定な時期、つまりそれは彼女が国王に対し、絶対的権威を持つ友人になる為に彼の愛人をやめた時のものであり、この作品の意味するもの、使用された原典、また同様にして選ばれた図像学~これはおそらくアーティストと客の共同だと思われる~もかなり研究されてきた。この作品は、ポンパドール夫人が知人の間でも限られた仲間に贈るために注文したというのは明らかであり、ポンパドール夫人が亡くなった時にまだ全ての作品が配り終えられていなかったというのは、ポンパドール夫人があらかじめ送り先リストを作成していなかったことを示していると思われる。また同様におそらく、型を使い切るのに十分な数である、20体という作品数を提案したのは工房と考えられる。
工房にはこの作品のモデルも型も何も残っていない。ポンパドール夫人は時に、それなりに高価な台座を注文し~Duvaux(デュヴォ)にブロンズ製のもの、セーブル工房に磁器製のものなど~この作品を仕上げさせた。 このモデルは、セーブル工房とFALCONET(ファルコネ)の最初の協力作品となった。彫刻家はすでにポンパドール夫人のために何度も仕事をしており、彼女からすでに高く評価されていた。そしてこの注文が成功したことにより、工房が新しい彫刻のモデルを提案したり作成したりするため、またこの分野の作業で必要不可欠な、作風の再生や一貫性を植えつけるためにアーティストを雇う必要性が出た時、ポンパドール夫人が彼の名を提案することは不可能ではなくなった。
ビスケットというポンパドール夫人の選択は、依然として注目すべきものであった。注文の日に人々の間に出回るビスキュイ作品の数はまだとても少ないものであった。というのも1754年から1755年の間に作られた25体の作品は1755年12月の最終配達まで秘密に保管されていたからだ。この、陶磁器と美学の分野において真の革命となるこの新しい素材を受け容れることにより、ポンパドール夫人は全くのオリジナルものの試みを奨励したかったのかもしれない。おそらく彼女の選択は、より「厳格な」スタイルの方へと移りながら、世の中の好みの全体の変化に賛成していることを証明しており、それはまた小さな焼き粘土の現代的な成功も保証している。 彼女の肖像を寓話的な全身彫刻で作成させるという考えさえも、副次的に位置するものであり、じきに多大な成功、とりわけ様々な素材による胸像等により、成功を約束された一つのジャンルの変遷の中で比較的早いものであると感じられる。」
参考書目
「セーブル工房及び喜びの芸術にあるファルコネ」1757-1766、2001年11月6日から2002年2月4日までセーブルの国立陶磁器美術館にて行われた展示会のカタログより、RMN出版、パリ、2001年、P114
プレオ・タマラ著
「ポンパドール夫人と芸術」から「モードの革命:ポンパドール夫人と陶磁器彫刻」、グザヴィエ・サルモン監修、2002年2月14日から5月19日までヴェルサイユ宮殿とトリアノン宮殿の国立美術館で行われた展示会カタログより、RMN出版、ガン、2002年

  • セーブル 人形 白磁(PT) ハンドメイド マダム ポンパドール 2007年復刻 フランス

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  • ★フランス国立セーブル陶磁器製作所工房作品詳細★
    ブランド(原産国) 【セーブル・Sevres】フランス
    作品名(パターン) Madame de Pompadour en Deesse de L'amitie
    (友情の女神マダム ポンパドール)
    原作制作年度 1755年 Etienne-Maurice Falconet(エティエンヌ-モーリス ファルコネ)
    復刻年度 2007年 France Tocquevill(フランス トックビール)
    作品サイズ 高さ:28.5cm,幅:17.5cm,奥行き:9cm
    特記事項 画像と実際の作品の色合い及び風合いは、微妙に異なります。
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    参考上代(定価) オープンプライス
     
    作品説明
    クリエーター:France Tocquevill(フランス トックビール)
    フランス国立セーブル陶磁器製作所工房で創作活動をするビスキュイ作家、陶芸家。
    ビスケット・白磁人形
    【この作品は十八世紀の技法による軟質磁器 PT(ソフトペースト)によって制作されています。】
    この素焼き白色磁器(ビスキュイまたはビスケット)は、
    十八世紀から続く成型・修復作業アトリエで制作されました。
    ここではセーブル陶磁器製作所工房独特の白色磁器や彫刻類(丸彫り、浅浮き彫り)、
    「セーブルのビスケット」という名称の意図的に釉薬をかけない白色磁器の作品が
    1751年から制作されています。
    作品にはセーブル工房のロゴと復刻年度が刻印され、作家のサインが彫り込まれています。
    セーブル工房の「ビスケット」という呼び方は、
    1751年以来の釉薬も彩色も無いセーブル工房の陶磁器彫刻のことを指す。
    この呼び名は白い大理石の無垢な冷ややかさを喚起させると同時に、
    マイセンの彩色された彫刻作品と区別する為に積極的に取り入れられました。
    ☆Pate tendre(ou P.T)☆
    ソフトペースト(軟質磁器P.T):セラミック素材の呼称であり、半透明でカオリンの発見以前のヨーロッパにおいて開発された硬質磁器のベースとなる素材。今日、PTは18世紀の素材のバリエーションのひとつであり、1980年にセーブル工房で再開発され、1260℃で焼かれたものが作られました。 「ソフトペースト(軟質磁器)のパテは20ほどの要素から構成されています。初めのものは鉱物(岩)の結晶、ガベルの塩、岩石の明礬、アリカントのソーダ、モンマルトルの採石場の高熱で焼かれた
    石膏、そしてフォンテーヌブローの砂で構成されている。全ての素材は焼いてから使用される」
    (セーブル陶磁器博物館におけるファルコネ展の図録より抜粋)
    ※複雑で高度な技術を要しコストのかかるこの製法は1804年に中止され近年まで生産が中断されていました。しかしジスカールデスタン大統領の時代、彼の命により再生産が開始されました。
     
    ★Etienne-Maurice Falconet(エティエンヌ モーリス ファルコネ)★
    (1716年12月1日に生れ、1791年1月24日にパリにて歿)職人の家系に生れ、
    彫刻は伯父の大理石、石工師のNicolas Guillaumeに学んだ。
    その後1730年頃から木や粘土の彫刻を始め 1734年に Jean-Baptiste II Lemoyne(1704-1778)の
    アトリエに入る。同氏はAnne Suzanne Moulinと1739年に結婚し4人の子供を持った。
    その子供の一人が将来、図案家、彫刻家、画家になる Pierre-Etienneである。
    1745年Etienne-Maurice Falcontは芸術大学に入学が許可される。
    1754年Milon de Crotone賞を授与される。その賞品は現在ルーブル美術館に保管されている。
    その翌年、同芸術大学の助教授になり1761年に教授、1783年に副学長となる。

    芸術家の師弟の絆は強く又その助言者達にも特別な関係が生れやすい。
    Marie-Anne Ollot(1748-1821)は Lemoyneのモデルであったがそのアトリエに通う
    Pierre-Etienne Falcontと1777年に結婚した。只1780年には離婚する。
    この彫刻家の性格は結婚生活には向いておらず、
    次世紀に対し制作した数々の作品の傾向のように革命的な気性が災いしたようだ。

    Falcontの作品に多くのFrancois Boucherの影響を見逃すわけにはいかない。
    この2人の芸術家はCrecy城の庭園内にある、酪農場に設置するための彫刻像の下見の際
    1749年に初めて出会った。
    この酪農場はポンパドール夫人の別邸として模様替えが行われていた。
    Boucherの図案てFalcont がビスキュイを制作するパターンは後の
    セーブル工房での制作へと引き継がれていく。

    1757年、王立セーブル工房の彫刻部門責任者に任命される。
    Falcont は週のうち一日をセーブル工房で仕事をした。磁器作品の前段素焼きの原型作りである。
    多くの作品はFrancois Boucherの図案構図や絵画からの啓示を受けている。
    ポンパドール夫人所有のCrecy 城の別邸に置かれた数々の作品も
    このBoucherの絵画の影響が多く見られる。
    その後、次第にFalcontの制作テーマは二つの流れに絞られて来た。
    一つは「子供」をテーマにした彫像でありもう一つは「 Fontaine寓話」である。
    只ここでもFrancois Boucherの芸術的相続人であることに変わりはなかった。
    小彫像の作品群は「動き」に重点をおいてセーブル工房で磁器素材で制作された。
    この作風は1764年から1766年にかけて広く欧州全体へ波及した。

    Falcontは彫像制作において、囲いを使わずソフトペーストのみで造型をする新しい技術を
    1752-1753年より開発しビスキュイ、小彫像の制作がセーブル工房で始められる。
    制作期日の大幅な短縮が可能となり裕福で芸術愛好の一般市民からの注文も可能となり
    商業的にも成功を収める。
    Louis Reauの書評に
    《芸術家が創る彫像 の原型はまるで舞台の仮の彫刻像のように素早く出来上がり、1756-1766年の
    間は特にその作品群はMoreauの黄色い証書と共に市場に販売されLouis XV 世の世を謳歌した》

    Pierre Ennesも彼の展覧会の記事の中で《セーブル工房のFalcont》の題で
    Etienne-Maurice Falcontのビスキュイ素材についてふれている。
    《VASE(カビン)に古式鉄廻し装飾したり、ギリシャ風花ぶな装飾は多分初めての試みであろう。
    又、同 186ページにこのような装飾は作品を強固に長持ちさせる効用もある。
    この装飾が次代のセーブル工房の Louis XVI世様式の下地になったことは疑う余地は無い》とも
    記されている。

    並行して Etienne-Maurice Falcontはセーブル工房にて大理石塑像に似た彫像を創り
    1754-1765年の間定期的に作品の発表を展覧会で行った。
    (作品名:L’Amour menacant et La Baigneuse1757年作, Pygmalion et Galatee1761 年作)
    又パリの教会の礼拝堂の装飾も制作し、その後Marduel修道院のイコン制作などへの助言もした。
    複数の大理石像についての図形教本などの制作もおこなっておりその内容は現在においても
    なんら古臭いものではない。

    他には個人の好事家に1758年l’Amour Falconet et la Nymphe qui descend au bainの彫像を創った。
    この作品は後年二つの作品に分けて再度作られ展覧会へ出展された。
    一つは 1761年、もう一つは1762年である。

    1766年9月フランスを出国しロシア皇帝Catherine II 世のサンクトペテルブルグヘ移り
    1778年まで滞在したその間多くの記念碑制作を手がけた。

    フランスに戻った後 1783 年に病に陥り彫像についての論文整理に専念する。
    又、古来の芸術文献を学び芸術大学の良き助言者としてあり続けた。
    Falcontには変わらぬ後援者と友がいる。彫像の良き理解者であるポンパドール夫人
    1752年にLa Musique、花と果樹の女神の彫像をCrecy城に制作し、
    1757年L’Amour像をパリの別邸に制作した。この建物は現在は大統領官邸となっている。
    Falcontの友人である Denis Diderotの伝評作家でもあるが
    《ここに一人の人間がいる。比較のしようのない万物起源の質のわかる者。彼は土を練る》
    Diderotは1759年、百科全書の彫刻に対する技術、哲学の深遠な説明を生み
    いつまでも変わらぬ友情は終わることが無かった。
    他にもDimitri Alexievitch Galitzine王子(ロシア皇帝Catherine II世の
    在フランス大使も1765 ~1767年に努める)Falcontのロシア滞在中の住居も提供した。
    1773年には Diderotと3人の面談もロシアで成った。

    Etienne-Maurice Falcontは数多くの素焼き塑像も制作した。
    注文はフランス王の建物のための作品もあるが、
    特筆すべき新しい装飾は1753年パリの Saint-Roch 教会、 Marduel修道院の作品である。

     










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